SAUDADE(サウダーデ)

子ギンと赤ちゃんルキアの初めての出会いの物語
                 (1)

「なあ,ルキアちゃんは干し柿好き?」

いつもの人を喰ったような笑顔で銀髪の死神は問いかける。たいていの者にはわからないが彼は今ひどく上機嫌だ。
なんだかんだと理由をつけて,自分を避けまくる想い人が目の前に座っているのだから。
ギンの目がいつもよりも細く,口角がいつもよりもわずかに上がっているのだが,そんな間違い探しのような微妙な違いに,目の前に座る黒髪の小さな死神が気付くわけもなかった。
ここに至るまで,なだめたりすかしたり,懇願したり,最終的には隊長命令と言う伝家の宝刀(脅迫ともいう)でようやく席に座らせることができたのだ。多少,強引ではあったが自分の手腕をほめてやりたい。

三番隊隊長市丸ギンが手ずからととのえたお茶と干し柿ののったお盆を目の前に出され,恐縮しながらも,うんざりとした様子でルキアは質問に答える。

「嫌いではありませんが,どちらかと言うと苦手です・・・」

お茶はすすったものの,出された干し柿に手を出そうとしないルキアに,ギンは自分用に用意した干し柿に豪快にかぶりつきながら言った。

「ふうん,朽木家で出されるような最高級品の干し柿でも口に合わんちゅうことなら,ボクの手作りの干し柿なんて,とうてい貴族のお姫さんの口に合うもんじゃないわなあ。」

自分が流魂街出身の身の上だと知っているくせにギンはいつもこんな口のきき方をする。
いつもその嫌味な言い方がルキアの心を逆なでするのだが,その日のギンの言葉にはその嫌味な言い方とは裏腹に,どこか悲しげな響きがあった。
そのせいであろうかルキアは素直に自分が干し柿に対して,いだいていた思いを口にした。

「そうではありません。高級だろうがなかろうが干し柿を食した時,私はいつも違和感を感じるのです。『違う・・・』と。何が違うのかどう違うのか説明はできません。ただその違和感を感じるたびに胸が引き裂かれるほどの切なさにおそわれるのです。愛おしくて・・・帰りたくて・・・ですから干し柿は苦手・・・です。」

うつむいて語り終えた後,嘲笑されるか,さらなる嫌味を言われるか,ルキアはギンの言葉を待った。しかしギンからの返事はなく,どうかしたのかとルキアは顔をあげた。

「・・・・・・!!??」

目の前にギンの顔があった。
戯れに後ろから抱きついてきたり,卑猥なことを言いながら口づけようと顔を寄せてくるときのうすら嗤いが消えていた。
今にも泣き出しそうな子供のような顔,うっすらと開眼した瞳は,たとえようもないほどの悲しみに満ちた憧憬をたたえていた。

「市丸,おまえ泣いているのか?」

あまりにもこの男に似つかわしくない表情に,ルキアの取り繕った敬語が消える。
次の瞬間,ルキアはギンの胸に抱きよせられ,口づけられていた。
あまりのことにルキアは驚愕し,ギンの腕から逃れようと力の限りもがいた。
しかし,ギンの力にかなうはずもなく,いっそう強く抱きしめられ強く深く口づけられる。

「うっ,うぐ・・・うう――っ」

空気を求めるように開かれた唇の間から,差し入れられるギンの舌が柔らかくかみ砕いた干し柿をルキアの口に送り込んできた。
かみ砕かれた食物を口うつしで食べさせられる卑猥さに体の力が抜けていく。甘い甘い干し柿の味・・・

愛しい少女を腕に抱き唇を重ねていながらギンはその行為に酔ってはいなかった。

(思い出してや,ルキアちゃん,この味を・・・きみが生まれて初めて食べた干し柿の味や・・・)

こくりとルキアののどが干し柿を嚥下した。

                   (2)

時はさかのぼること百数十年前,南流魂街78地区戌吊。幼いギンは食べ物を求めさまよっていた。
懐には今朝,乱菊と分け合った干し柿が一つ,なんとか今日中に食べ物を見つけたかった。

乱菊と一緒にこしらえた干し柿がそれなりにあるとはいえ,これから始まる冬のことを考えると食べ物はまだまだ必要であった。
食物を必要としない霊力のないものとは違い,ギンと乱菊には食物が手に入らないことは致命的であった。やみくもに探しまわっても食べられる木の実や草の実はたかがしれている。

自然,ギンの足は戌吊の中でも比較的治安のよい商店街に向かう。
戌吊にも食べ物を扱う店はある。地区の見回りにやってくる死神たちのためのものだ。
店先に並ぶ商品を手につかむことさえできれば足の速いギンが店の者をまくことなどわけないのだが,度々やってくる子供の盗人を警戒してか今日はどうにも隙がない。
ほとぼりが冷めるまでは店に近寄れそうもない。軽く舌打ちし,ギンは河岸を代えることにした。
くるりと踵を返したギンはするりと細い路地裏へとはいって行った。

曲がりくねった路地をぬけると,少し開けた場所に出た。そこは戌吊で一番大きな料理屋の裏手,金のないギンには入ることもできない店だが,裏手のごみ置き場を探せば残飯がしばしば手に入った。

野良犬のように残飯をあさるのはあまり好きではないが背に腹はかえられない。
ギンはごみ置き場に慎重に近づいて行った。以前,店の者と危うく鉢合わせしかけたことがあり,ひやりとしたことがあった。以来どんな時でも警戒は怠らないようにしていた。

(・・・・!)

人の気配がする,ギンは積んである箱の隙間に身を隠し,息を殺して様子をうかがった。店の者だろうか?
しかし,ごみ置き場にたたずむその姿はひどく小柄だった。

(女の子・・・)

遠目から見ても美しい少女だった。自分とさして年がかわらないのではと思われた。
ごみをあさるでもなく腕に抱いた布の包みを悲しげに見つめている。
声をかけることもできず,ギンはただ少女を見つめた。

(綺麗な子ぉや・・・何しとるんやろ?)

ふいに少女の瞳から涙があふれた。少女はしっかりと包みを抱きしめた後,積み上げられた箱の上にそっと置いた。

「ごめん,ごめんね・・・ルキア・・・お姉ちゃんを許して・・・」

鈴を振るような甘く優しい声,ギンの背筋が一瞬ぞくりと震える。
次の瞬間,少女はくるりと踵を返し,ギンが来たのとは別の路地に向かって走り出していた。

「あ・・・」

少女の姿が消えた後,ギンの口から初めて声が出た。なぜか声がかけられなかった。
呆然としてどれほど立ち尽くしていたのだろう,子猫が泣くようなか細い声にギンの意識は覚醒した。
ギンは少女が置いて行った包みに近づきおそるおそる覗き込んだ。甘い優しい乳のような香りがふわりと漂う。包まれていた布の間から小さな顔がのぞく。

「赤ちゃんやあ!?」

現世でいえば一歳にもならない赤ん坊であった。
烏の濡れ羽色のような黒い髪,白磁のような肌の愛らしい赤ん坊,おそらくあの少女は,子どもの身で赤ん坊を育てていく苦労に耐えかね,この子を捨てたのであろう。戌吊では珍しいことではなかった。
自分たちが暮らしていくのに精いっぱいの身で,どうして幼子が幼子を育てられようか・・・

「綺麗なおめめやなあ,空よりも青い。」

のぞきこんだ自分の顔を見上げるぱっちりとした大きな丸い瞳,空よりも濃い青,光の加減で紫色にも見える。
そっと抱きあげると,赤ん坊は小さな柔らかな手をのばし,ギンの頬にふれ,花が開くように笑った。
つりこまれてギンの顔にも微笑みが浮かぶ。赤ん坊の大きな瞳に自分の笑顔が映る。
その笑顔にギンは,はっとした。
赤ん坊の瞳に映った自分の笑顔,それはあまりにも久しぶりに見る子どもらしい無邪気な笑顔であった。
心に復讐を誓ったあの日から一度も浮かべたことがなかった笑顔・・・

乱菊とふざけあったり,冗談を言い合って笑い合うことはあった。でも,もう二度とかつての笑顔を取り戻すことはないと思っていた。
それなのに,この赤ん坊はやすやすと自分が失くしたと思っていた心を見つけてしまった。
赤ん坊の笑顔がぼやける・・・

自分でも気づかぬうちにギンは赤ん坊を抱き上げ,ぎゅうっと胸に抱きしめていた。
戻れるのだろうか,かつての自分に。この赤ん坊とともにいられるのなら復讐ではない道を,別の幸せをこの子と乱菊と共に歩いていけるのではないのか・・・

「う―――,あ―――」

きつく抱きしめるギンに赤ん坊が抗議の声を上げる。その声に我に返った瞬間,店の者が裏手に出てくる気配を感じた。ギンはしっかりと赤ん坊を抱えなおすと風のように走りだした。

                  (3)

さてどうしたものか?
ここはギンと乱菊の住んでいる家からかなり離れたところにあるお堂の中。
機嫌よくはいはいをしたりギンの膝の上に乗ったりする赤ん坊をとろけそうな笑顔で見つめながらもギンは思案にくれていた。
まっすぐ赤ん坊を家に連れて行かなかったのにはわけがあった。
今までギンが拾ってきた犬や猫に乱菊が好い顔をしてくれたことが一度もなかったからだ。ましてや赤ん坊を拾ってきたなどと,どんな顔で告げればよいのか,ギンにはわからなかった。

実のところ拾ってきたところで犬も猫も全くギンにはなついてくれず,餌こそ必要としないまでも世話は全部乱菊がしなければならなかったのだ。
可愛がろうとしても吠えられたり引っ掻かれたりさんざんな目に合っているギンを笑いながらも,あまりにも気の毒なので乱菊は飼いたがらなかったのだ。しかし,ギンはそんなことをつゆも知らなかった。

とにかく折を見て赤ん坊のことを切り出せるまでは,この御堂で一人で育てるしかない,という何とも後ろ向きな結論にたっし,ギンはため息をついた。
その時,今の今まで機嫌のよかった赤ん坊が不意に火がついたかのように泣き出した。

「ど,どうしたん?おなかでも痛いん?」

ギンが抱き上げて揺すぶっても,頭を撫でてもいっこうに赤ん坊は泣きやまない。
しゃくりあげながらギンの指をくわえて吸い,放してはまた泣き声をあげる。

「まさか!?きみ,おなか空いてるん?」

ギンは愕然とした。空腹を感じて泣くということはこの赤ん坊にはギンと同様に霊力があることを意味した。
あの少女がなぜこの子を捨てたのか,ようやくがてんがいった。
通常の赤ん坊の世話に加え,腹を満たしてやるための食べ物も探さねばならない。
数時間前に出会ったとき,赤ん坊は腹を空かせてはいなかった。
この子に霊力があるということはあの少女にも霊力があったのかもしれない。
自分はろくに食べずに赤ん坊を今まで育ててきたのであろうか。
少女の痩せた肩,細すぎる足を思い出してギンはその想像があながち間違ってないのではと思った。
ギンとて今日の食いぶちすらままならぬ身,子どもの自分がこの赤ん坊を育てられるわけがない,理屈ではわかっていた。

ギンは赤ん坊を抱きしめ不安を振り払うようにぶんぶんと頭を振った。
この子の瞳を見たとき,その瞳に映る自分を見たときギンの心はとうに決まっていたのだ。
どんなことがあっても離れないと,この子とともに生きていきたいと,この子の瞳に映る自分を失くさずに生きていきたいと・・・もう二度と心を失いたくはなかった。

しかし,ともかく現実問題として赤ん坊は泣き続けている。
何か与えなければとうてい泣きやみそうもない。赤ん坊がじれてギンの胸をたたく。

「そや!」

ギンは懐に干し柿を入れていたことを思い出した。ギンは干し柿を取り出して赤ん坊の口元に差し出した。しかし赤ん坊は臭いをかいで舌でなめたりはするものの,いっこうに口に入れようとはしない。

「そうか,きみまだ歯ぁが,生えとらんのやもんね。よし,まっとき。」

ギンは干し柿にかぶりつくと,よく咀嚼し指の腹にのせて赤ん坊の口元に差し出した。
赤ん坊はギンの指に吸いついて美味しそうにしゃぶった。ひな鳥に餌をあげるようなくすぐったい感覚,ギンの細い眼が喜びに更に細くなる。

「気にいったんか。いっぱい食べ。」

赤ん坊はギンのかみ砕いてくれる干し柿をすべてたいらげると,眠くなったのかギンの腕の中でうとうととし始めた。
その温かく優しい重みに,離れがたい思いがわいてきたが,もう日暮れが近い,家に戻らなければ乱菊が心配する。
ギンは赤ん坊を,包まれていた布で寒くないようにしっかりくるむとそっと床に寝かせた。

「ごめんなぁ,乱菊が寝たら戻ってくるから,ええ子で待っててな。」

もみじのような手を軽く握り,そのやわらかな頬にほおずりするとギンはお堂の扉を閉めつっかい棒をしてから,家に向かって駆け出した。

「あの子の名前,ないと不便やなあ。あの女の子,たしかあの子の名前去り際に言ってたはずなんやけど・・・」

何という名前だったのだろう,たしか・・・キアと聞こえたような気がするが。

「ま,ええか。思い出せへんかったら,ボクがつけてあげればええ。」

今日は何一つ口にしていず,ひどく空腹であった。
しかし胸の中に感じる温かな思いに比べればなにほどのものでもなかった。この胸の中に確かに取り戻した心がある。それだけですべてが満たされた。
さて,今日食べ物を持って帰れなかった言い訳をどう乱菊に告げようかと思案しながらギンは飛ぶように軽い足取りで家へと帰っていった。

                  (4)

黒髪の少女が泣いている。
(ごめん,ごめんね・・・ルキア・・・お姉ちゃんを許して・・・ルキア,ルキア・・・)

「・・・ル・・・キア・・・」

自分の声でギンは眼を覚ました。乱菊の健やかな寝息が隣で聞こえる。
乱菊が寝入ってから赤ん坊のもとに行こうと思っていたのに,いつの間にか自分も寝入ってしまったようだ。浅い眠りの中でギンの夢に現れた少女は赤ん坊の名を告げていた。ルキアと・・・
声をかけられなかった儚げな美しい少女,思い出すとなぜか胸がしめつけられた。

(あの子のこと捨てたくせに,あの子はもうボクのもんや・・・)

頭の中の少女に向かって強く言い捨てる。
少女が赤ん坊のルキアを捨てたことに怒りを感じてなどいなかった。
むしろルキアをこの手に与えてくれたことに感謝の思いすらあった。それなのに・・・この胸の痛みは何なのだろう。
幼いギンにはその感情がなんなのかわからなかった。
ギンは痛みを怒りに近いものにすり代えて少女の姿を頭から追い出した。
軽く頭を振って眠気を払い,ギンはそろりと夜具からぬけだした。草履をはき,静かにおもてに出るとギンは軒先に吊るしてある干し柿をひとつ取った。

(乱菊,かんにんなあ。これルキアちゃんのぶんやから・・・ボクのぶん要らんから。)

昨夜は乱菊がみつけてきてくれたおにぎりを,二人で半分ずつ食べただけのギンはひどく空腹だった。
でもルキアが美味しそうにギンの指から干し柿を食べてくれた時の笑顔を思い出すと,大好物の干し柿ではあったが少しも惜しくはなかった。

満天の星空の下ギンはルキアのもとへと走る。
なぜかいつもよりも足が速くなったような気がした。耳元で鳴る風の音すら追いつけないほどに。

(なんやろ?えらく足が軽い・・・)

ギンは己の強大な霊力が発動し始めていることに,このときはまだ気づきもしなかった。

息を切らしながら御堂に辿りつき,つっかい棒を外し扉を開けると,ルキアはギンが立ち去ったときそのままの姿で眠っていた。
ルキアの無事な姿にホッと息を継ぎ,ギンがそっと近づくとひと肌を感じたのかルキアがぱっちりと目を開けた。目の前にギンの笑顔を見つけると嬉しそうに笑う。
ギンはルキアを抱き上げて優しく揺すった。

「ルキアちゃん,一人にしといて,かんにんなあ。でも朝になるまでずっと一緒やから。」

頬ずりをするとルキアはくすぐったそうに喉を鳴らしてギンの肩をたたいた。
ギンは夜明け近くまでルキアと一緒に遊んだ。にらめっこに指遊び,あやとり,何をしてもルキアは歓声をあげる。
ギンの細い指から生まれるあやとりの赤い糸の形に,興味津津という顔で見入っているルキアの可愛らしさにギンの顔にも微笑みが浮かぶ。

少しおなかが空いたのかギンの胸をたたいて食べ物をねだるルキアにギンは先ほどと同じかみ砕いた干し柿の食事を与えた。
おなかもいっぱいになり,そろそろ遊び疲れて,こしこしと小さな手で目元をこするルキアを抱き上げギンは濃藍色の瞳を覗き込むようにして言った。

「ボク,きみに自己紹介してへんかったね。ボクはギン,市丸ギンゆうんよ。ルキアちゃんわかるか?」

「・・・・・いーん?」

「インやないよ。ギ,ン,まだルキアちゃんには無理やね。」

苦笑しながらギンはルキアを胸に抱きよせ,子守唄を歌い始めた。

「ねーんねんころりよ,おこーろりよ,ぼうやはよいこだ,ねんねしなー」

細く高いギンの優しい歌声にルキアはすぐに寝息を立て始める。この歌を自分はどこで聞いたのだろう。
尸魂界のどこかで聞きかじったのか,それとも現世で記憶に刻まれたのか,ギンにはわからなかった。
でもルキアに歌ってあげられることが嬉しかった。

ギンに身を預け,すやすやと寝いってしまったルキアを,ギンは再び床に寝かせ布でくるんだ。
ルキアが目を覚まして自分が居ないことに気付いた時,どれほど淋しがるかと思うとひどく切なくなった。
ずっと一緒に居てやりたいが昨日何も食べ物を見つけてこれなかった自分が,今日も乱菊の分を当てにするわけにはいかなかった。

「ごめんな,ルキアちゃん。食べ物見つけたら,すぐ戻ってくるからなぁ。」

ギンはルキアの頭を撫で,軽く頬をあわせると,来た時と同様まるで羽がはえたかのように軽く感じる足で,風のごとく御堂から走り去って行った。

                 (5)

ギンは目星をつけていた弁当屋の店先を遠巻きに見ながらじりじりとしていた。
最近,ギンが何時も狙いをつけていた何軒かの店すべての警戒が厳しくなり容易に近づけないのだ。
食べ物を手の中に収めてしまえば逃げ切る自信はあったが,近づく前に見つかってしまってはどうにもできない。
一刻も早く食べ物を手にしてルキアのもとに帰ってやりたいのに時間ばかりが無情に過ぎていく。

(あかんたれ・・・店先に行けさえしたら,なんとでもなるっちゅうに・・・)

ギンはルキアのことを思った。もうとうに目を覚まして自分を恋しがっているかもしれない。
おなかを空かせて泣いているかもしれない。

(店先へ・・・店の前に行きたい,行きたい,行きたい,行きたい・・・・・・・・・・)

ギンは耳に風の音を聞いた。体が信じられないほど軽くなり,自分という存在が消えたと思った瞬間,ギンは弁当屋の店先に立っていた。
店番の者が突如現れた銀髪の子供に驚く暇も与えずギンは目の前に並んでいる弁当の包みをつかむと疾風のように駆け出した。
ギンの強大な霊力と類まれな天賦の才が,ルキアを強く思うことで発動した死神戦闘術歩法『瞬歩』であった。

(なんや,何が起こったんやろ?ボクの体飛んだんか?)

もちろんギンには自分に何が起こったのかさっぱりわからなかった。
ただわかっていることは今日の食いぶちは手に入ったということ,一刻も早くルキアのもとに行かなければということだけだった。

「ルキアちゃん待っててや。今すぐ行く。」

名を口に出すと同時に耳元に風の音が鳴る。目の前の景色が入れ代わっていく。
もはや目の前に見える御堂にギンは驚愕した。
どんなに自分の足が速くてもあの場所からこの御堂までは小半時はかかるはずだった。
なぜと思う間もなく視界が揺れる。ギンはがくりと膝をつき,ぜえぜえと息を乱した。
『瞬歩』はひどく霊力を使う,無意識に連続で使ってしまったギンはあまりの疲労にその場にへたり込みそうになった。

「・・・・・・!?」

か細い泣き声が御堂のほうから聞こえてきた。
ギンを求めるルキアの泣き声に我に返ったギンは今度は『瞬歩』を使うことなくルキアのもとへと駆け出した。
ルキアは御堂の扉格子につかまり立ちしながら泣いていた。走ってくるギンを見つけると泣きながらその小さな手を伸ばした。

「い―――ん,んま―――ま―――!」

ギンは急いで扉を開け,荷物を置くのももどかしくルキアを抱き上げた。

「ルキアちゃん,ルキアちゃん,一人にしてごめんなぁ・・・泣かんといてや・・・」

ギンは優しくルキアの背中を撫で目元の涙を袖で拭ってやったが,ルキアは一向に泣きやまない。
しっかりとギンにしがみつきいっそう大きな声で泣いた。
空腹よりも寂しさの方が強かったのだろう,降ろして食事を与えようとしてもギンの着物にかじりついてはなれない。ギンはようやくのことで自分からルキアを少し離し,その目を覗き込むようにして言った。

「なあ,ルキアちゃん,泣かんといて・・・お願いやから・・・ルキアちゃん・・・」

ルキアの涙にぬれた瞳がまん丸に見開かれ,じっとギンを見つめる。
ルキアの頬に水滴が落ちていた。水滴はいくつもいくつもルキアの頬をすべって行く。ルキアが不思議そうな顔でギンの頬にふれる。
赤ん坊が泣くのにつられて泣いてしまうなんて,恥ずかしくて頬が熱くなる。
ギンはごしごしと袖で乱暴に目をこすった。
でも,愛おしいもののために流す涙はなんと優しいのだろう,自身すら癒すほどに。

「泣いてへんよ,ほーら,ボク笑っとるやろ。」

照れ隠しにギンは細い眼をいっそう細めてルキアに,にいっと笑いかける。
その笑顔に安心したのかルキアはギンの胸をポンポンと叩いて食べ物をねだった。

「なんや,干し柿がええの?他にも食べるもの持ってきたんよ。」

ギンが懐から出した干し柿に膝の上のルキアはのどを鳴らして手をのばす。

「まっとき。すぐあげるからなぁ。」

まだ奥歯のないルキアのために,ギンは干し柿にかぶりついて柔らかくかみ砕き始めた。
しかし空腹で指に乗るのも待ちきれないのか,ルキアは小さな両手でぐいっとギンの頬をつかみ自分に顔を向けさせた。
そしてギンが驚くよりも早くその唇に吸いついた。干し柿ごとルキアに舌を吸われ,背筋がぞわりと震える。
全部吸い取った後も,まだギンの口の中に干し柿があると思ってかルキアの舌がさぐるようにギンの舌をくすぐる。ギンの頭の中が真っ白になる。

「んーん――・・・・・んむう・・・・ぷはっ・・・・・はあ,はあ・・・!?」

やっとのことでルキアを唇から離し,ギンは真っ赤な顔で荒い呼吸を繰り返した。
あまりの衝撃に息をするのも忘れていたらしい。
とうのルキアはきょとんとしてギンの顔を見つめ,紅葉よりも赤く染まったギンの頬をぺちぺちとたたいた。

「いーん,んま!」

「んまって・・・もうルキアちゃん・・・きみって子ぉは,なんちゅうことを・・・ボクの初ちゅーなんやけどなあ・・・」

相手は一歳にもならない赤ん坊,ぼやいても意味がないことはわかっていた。
それに存外いやな気分ではなかった,むしろ・・・。

背筋に走った感覚が何なのか何の経験もないギンにわかるはずもなかったが,いけないことをしてしまったようなかすかな後ろめたさがあった,だけど・・・。

「もう,がっついたらあかんよ。」

ギンは再び干し柿の咀嚼を始めた。ルキアはギンの口元をじいっと見ている。

どくん・・・

漆黒の髪,白磁のような肌,愛らしい顔立ち・・・赤ん坊のルキアの顔に,あの時の儚げな少女の顔が重なる。
ギンはそっとルキアの顔に自分の顔を近付けた。
待ちかねたようにルキアはギンの唇に吸いつく。その心地よさに身をゆだねながら,ギンは残りの干し柿をすべて口移しでルキアに与え続けた。

                  (6)

ギンは心底困り果てていた。おなかもいっぱいだろうし,たっぷり遊んで疲れてもいるはずなのにルキアが眠ろうとしないのだ。
何度も眠たげに目をこするのだが,その都度頭をぶんぶんと振り,ギンのそばから離れようとしない。
一人ぼっちで目を覚ました時よほど心細かったのだろう。
抱き上げて優しく背を撫で,何度も子守唄を歌って,ようやくルキアが眠りに就いたのは日がとうに沈んでしまった頃であった。
最後は泣きながら眠ってしまったルキアをギンはそっと床に寝かせると,ひとりごちるようにつぶやいた。

「ごめんなぁ・・・明日はボクが来るまでルキアちゃんが寂しくないようにお友達もってきたげるからなぁ・・・起っきした時ボクが居なくても泣かんですむように・・・」

ギンはルキアの頭を撫で,額にそっとくちづけた。
ルキアが眠りながら微笑んだように見えた。ギンの顔にも優しい笑みが広がる。
しっかりと御堂の扉を閉め,薄闇の中をギンは走りだした。

(早う,早う,早う帰らな・・・)

思うと同時に,耳元で風が唸り,ギンはもう家の前に立っていた。
家の明かりはもうついていた。言い訳を考える間もなく家に着いてしまい,ギンは乱れた息を整えると,困ったように軽く頭を掻いた。
いつもなら帰る道々言い訳を考えるのだが,いまさら良い言い訳も頭に浮かばない。

(速いっちゅうのも,良し悪しやね。)

今日は黙って乱菊に怒鳴られよう,覚悟を決めてギンは家に入って行った。


月明かりの下でギンは裁縫箱を開いた。
夜目のきくギンは難なく針と糸を取り出すと,明かりがとぼしい中,器用に針に糸を通す。
縫物はあまり得てでもないが,針に糸を通すのは特技であった。
自分が居ない時でもルキアが寂しくないように人形のようなものを作ってあげようと思ったのだ。
さすがに人型の人形を作るには材料も技術も足りないので,動物のぬいぐるみがよかろうと決め,ギンはさてどんな動物にしようかと思案し始めた。

(ボクの代わりに,ルキアちゃんについててあげるものなんやから,やっぱりボクに似ていた方がええやろね。)

となると・・・やはり・・・自分でも自覚がないわけではないが,アレしかないだろう。
ギンは苦笑しながら洗いざらしだが,清潔な白い手ぬぐいで何かを作り始めた。

小半時後,ギンは出来上がったものを満足気にしげしげと見つめていた。
それは自分に一番似ている動物,狐のぬいぐるみであった。
赤い糸で細い眼も入れてある。手ぬぐいでできた白狐のぬいぐるみは,ギンにそっくりであった。
ただ,若干耳が長く,頭に詰めた端布が多すぎたのか,やや丸顔気味のそれは笑顔の白ウサギのようにも見えた。

(うん,可愛いらしゅうできた。ルキアちゃん喜んでくれるとええけど。)

ぬいぐるみを懐にしまい,乱菊が起きぬように足音を忍ばせて家を出る。
吊るしてある干し柿をひとつ取ってそれも懐に入れた。今夜は,ぬいぐるみ作りのために出るのが少し遅くなってしまった。
ギンはなんとなくコツがつかめてきた『瞬歩』を自分の意志で発動させた。
耳元の風音,入れ代わる風景,目の前にルキアの居る御堂が見えた。
今までと違い息の乱れもない。うまく力をコントロール出来たことにギンは会心の笑みを浮かべ,ルキアの待つ御堂に入って行った。
ルキアはギンが御堂を出て行った時のまま眠っていた。
寝付いたのが遅かったせいかギンの気配にも起きる様子がない。それでもギンが寄り添いそっと髪を撫でると,まるで思いが通じたかのように眠りの中でにっこりと微笑む。

(おかしいなあ・・・ボク,ルキアちゃんの寝顔見とったら嬉しゅうてたまらんのに・・・なんで泣きたくなるんやろ・・・嬉しいも,悲しいも結局おんなじものなんかな・・・)

ギンはルキアの小さな手にぬいぐるみを握らせると,じきに目覚めてその濃藍の瞳を輝かせるであろうルキアの笑顔を思いながら,幸せな眠りへと入っていった。


ルキアを,内緒で御堂で育て始めて一週間が過ぎていた。
ギンが拵えてあげた狐のぬいぐるみは,はたして大いにルキアのお気に召したようで片時も手から離さない。
おかげでそばを離れたり,寝かしつけることが楽にはなったのだが,自分で作ってやったものながらギンは少々面白くない。

「あんなあ,ルキアちゃん本物がここにいるんやから,ボクと遊ぼ!!」

ギンはややふくれ顔で,機嫌良くぬいぐるみと遊んでいるルキアの手から,ぬいぐるみをひょいと取りあげ,頭の上にかざした。

「や―――!!い――ん!め――――っ!!」

ルキアが怒ってギンの膝に乗り,頬をぺちぺちと叩く。
さらさらとした癖のないギンの銀髪をつかんでひっぱる。

「あだだだだだっ!ルキアちゃん痛い痛い,降参やー。」

二,三本髪をむしられてしまい,ギンは涙目になってルキアにぬいぐるみを返した。
ルキアはすぐに笑顔になり,しっかりとぬいぐるみを腕に抱くと再びギンを無視して遊び始める。

「ああ,もう作ってやるんやなかったかも・・・」

ギンは情けなさそうにため息をつき,昼寝を始めることにした。
どちらかと言うと不貞寝に近かったが。
うつらうつらとどれだけ眠ったのだろう,ギンは胸の中で丸くなる温かなぬくもりで目を覚ました。
ルキアがぬいぐるみをしっかり抱きかかえたまま,ギンの腕を枕にして眠っていたのだ。
たちまちギンの機嫌は直ってしまう。

(なんやのん,ルキアちゃん。やっぱりボクのことが一等すきなんやね。)

小憎らしいぬいぐるみの頭を軽く小突き,ギンはルキアが寒くないように包み込むように抱きよせ再び眠り始めた。

                  (7)

「ギ――ン―――っ,あたしに何か言うことがあるんじゃない?」

「へ・・・・・・・!?なんのこと?」

いつものようにルキアを寝かしつけ,乱菊が帰る前に食事の支度をして待っていたギンに乱菊は帰ってくるなり言い放った。

「とぼけんじゃないわよ!ここんところ,なんかやたらこそこそしてるし,帰りも遅いし,また,あたしに内緒でなんかやらかしているんでしょ!!!」

青灰色の瞳を細め眉間にしわを寄せて詰め寄る乱菊の剣幕に,たじたじとなりながらもギンは素知らぬ顔で空とぼけようとした。

「そんなん,ボクが時間守らんなんていつものことやん。何を証拠にそんなこと言うん?」

実際,ギンが乱菊に断らず一人でどこかに出かけていくことなど,今までも何度もあったし,珍しいことではなかった。
時間に遅れたとしても,帰ってきさえすれば乱菊がそのことについて取り立てて非難することなどなかった。
正直あまり勘の良くない彼女に悟らせるようなへまはしていないという確信もあっただけに,ギンは表情には欠片も見せなかったがかなり驚いていた。そんなギンに乱菊は勝ち誇ったように言った。

「あたしが気づいていないとでも思っていたの?」

「な,何を・・・・・?」

「干し柿の数よっ!!!」

ギンは表情には見せなかったがぎくりとした。
最近ルキアは他のものも食べるようにはなってきたが,やはり大好物は干し柿であった。
育ち盛りの赤ん坊のこと,一個では満足しなくなってきたのだ。そのため今日初めて一個余計に干し柿をルキアのもとに持っていったのだが,まさか乱菊が数を把握していたとは・・・

「さあ,とっとと白状しなさい!!干し柿をどうしたのよ。」

「そ,それは・・・今日はちょっとお腹が空いて・・・」

「朝ご飯は食べたじゃない。お昼の分だって残っていたわよ。」

「せ,せやから・・・その・・・」

「・・・・・」

乱菊は無言になって,ギンを睨みつけた。
言葉のやり取りではギンにはかなわない。たいてい丸めこまれてしまうが,だんまりのにらみ合いなら五分で渡り合えることを乱菊は経験上知っていた。
ましてやギンは後ろ暗いことを隠している身,今日は自分に分があると乱菊は踏んだのだ。
案の定しばらくのにらみ合いの後,ギンは白旗を上げた。

「・・・拾ったんよ・・・」

「何を?」

「・・・・・・・・猫・・・・。」

「はあ!?」

「きれいな青い眼ぇの子猫・・・」

「猫が干し柿食べるの????」

乱菊は口をぽかんと開けてギンをまじまじとみた。
尸魂界にいるたいていの動物は食物をとらない,まして猫は肉食だ。それが干し柿を食べるとは。

「それで,あんた内緒で飼ってたわけ?」

ギンはこっくりとうなずき真剣な顔で乱菊を見つめた。

「うちで飼ってもええやろ。ボクにすごくなついとるから今までみたいに乱菊に面倒はかけんし,干し柿ならボクの分あげるから・・・乱菊!?」

まだ目を丸くしてギンを見つめる乱菊にギンが声をかけると乱菊ははっとしてぱしぱしと瞬きをした。

「どしたん?」

「いやね,あんたに猫がなついたって言うのに驚いたのよ。あんた今まで動物になつかれたことないじゃない?」

「・・・・・質問に答えてや。ここで飼ってもええ?」

「ん――――。」


乱菊は目を伏せて軽く頭をかいた。信じがたいことだがギンになついているという子猫がいる(らしい)。世話は全部ギンがやると言うし自分の干し柿は減らないと言う。
ならば反対する理由もない。乱菊も本当は動物が大好きなのだから。

「いいよ。うちで飼おう。ちゃんと面倒みるのよ。」

「やったあ―――!!!ボクむっちゃ嬉しいわ!!おおきに,おおきに乱菊――!!」

ギンは飛びあがって歓声を上げ,乱菊に抱きついた。
普段,子供にしてはクールなギンの感情的な反応に乱菊は驚いた。

(なんなの?こいつ,こんなに子供っぽいとこあったんだ。)

でもギンのそんな様子が乱菊には嬉しかった。
姉のように優しくギンの背中をぽんぽんと叩くと乱菊は言った。

「で,その子猫はどこにいるの?」

ギンは顔中を口にしてにっかり笑った。

「近くの御堂や。今から迎えに行こ!乱菊も絶対気に入る!」

言うが早いが,乱菊を家から押し出すと,手を握って走りだした。

「ちょっ,ギン速い!速すぎるわよ!!!」

あまりのギンの足の速さに乱菊が悲鳴をあげる。
ギンはするりと乱菊の手を離すと振りかえって笑いながら言った。

「場所はわかるやろ?ボク先行って待っとるから。」

ギンの背中がみるみる小さくなる。乱菊はぜえぜえと息を整えながらその後ろ姿を見送った。

「あ,あいつあんなに足速かったっけ?」

ギンの胸は喜びとこれからの期待ではちきれそうだった。
とにかく一緒に暮らす許可が欲しくてつい乱菊にルキアのことを猫と偽ってしまったが,もう承諾を得た以上猫だろうが赤ん坊だろうが,話術で乱菊を丸めこむ自信があった。
そして何よりも絶対乱菊はルキアを気に入ってくれるだろう。

(ルキアちゃん,ボクら今日から家族になれるんや!ルキアちゃんには今日から乱菊っちゅうお姉ちゃんができるんよ!ずうっと一緒に暮らせる,ずうっとや!!)

風の速さで,瞬く間に御堂が近づいて来た時,ギンはかすかに違和感を感じた。
静けさがいつもと違う,ルキアの気配が感じられない。御堂の扉が開かぬようにかけておいたつっかい棒がなくなっていた。
いやな予感がした。ギンは乱暴に扉を開けはなった。

「・・・・・・・・・・!?」

白い狐のぬいぐるみが足元に転がり,ギンを見上げている。
御堂の中はもぬけのからだった。ルキアが一人で御堂から出られるわけがない,ましてや眠る時も離さなかったぬいぐるみを置いていくわけがなかった。

(誰かにさらわれた・・・・!?)

ギンの全身が凍りついた。誰が?いったい何のために?頭が混乱して考えがまとまらない。
御堂の前で呆然とたたずむギンにようやく追いついた乱菊が問いかける。

「どうしたのギン?子猫いないの?」

「乱菊はここにいてや!ボク探しに行く!」

死人のような青ざめた顔で,ギンは振り向き悲鳴のような声でそう乱菊に告げると,一瞬のうちに姿がかき消えた。

「ギン――!?」

霊圧を探知できないギンが年端もいかない赤ん坊の微弱な霊圧を辿るなど不可能であった。
しかし,じっとしていることなど出来なかった。ギンはがむしゃらに瞬歩を連続しルキアを探し求めた。

(ルキアちゃん!ルキアちゃん!!どこに消えたんや,誰にさらわれたんや!!見つけたら・・・そいつ絶対殺したる―――!!)

瞬歩はただでさえ膨大な霊力を使う高等死神戦闘術である。
その無茶な多用は子どもであるギンの霊力と体力を奪い,とうに限界を超えさせていた。
全身の骨がきしみ,頭が割れるような頭痛がギンを襲う。
それでもギンは瞬歩の連用をやめようとはしなかった。
ルキアはギンが取り戻した心だった,ルキアを失えば再び自分は闇に堕ちていく・・・

もうとうに体力の限界を超えてしまった状態でギンは一縷の望みをこめて再び御堂に戻ってきた。
ギンは,不安な顔でお堂の前に立ち尽くす乱菊にすがるような顔で問いかけた。

「乱菊・・・―――?」

全身汗びっしょりで,幽鬼のように真っ蒼な顔で問いかけるギンの姿に,動揺しながらも乱菊は無言で首を振った。

「ボク,もっぺん探しに行く・・・」

いいおいて乱菊に背を向けた瞬間,ギンは崩れ落ちた。

「ギンっ!?もう無理よ。今日はもうあきらめて帰ろう!!」

慌てて乱菊が駆け寄り,抱き起こし揺すっても反応はない。
呼吸も浅く脈も速い,そしてどんどん冷たくなっていく体・・・。
乱菊はギンを背中に背負うと家に向かって駆け出した。



「ギン,ギン,しっかりしなさいよ。」

乱菊の心配そうな声が聞こえる。頭が割れるように痛む。
ギンがうっすらと目を開けるとそこに乱菊の泣きだしそうな顔があった。

「乱菊・・・」

「良かったあ。あんた三日間も眠っていたのよ。このまま死んじゃうかと思ったわよ。」

乱菊が赤くなった目をこすって笑った。

「あんた,ずっと猫の名前呼んでたわよ。よく聞き取れなかったけど。」

「・・・・・・。」

「あんたが眠っている間,御堂に行ってみたんだけど猫は戻ってなかったわ。可愛い子猫だったんなら,きっともう誰かに飼われて可愛がってもらっているわよ。」

本当に子猫であったならそう思うこともできた。
しかし,今さら子猫ではなく赤ん坊であったことを乱菊に告げる気にはならなかった。
悲しみが倍になることはギンの望むところではなかった。

「そうやね。きっとどこかで幸せにくらしとるよ・・・。」

絞り出すようにそれだけ言うと,ギンは乱菊に背を向けた。

「ごめん,乱菊。ボクもう少し寝るわ。」

ギンが死神になるために真王霊術院に入学したのはそれから間もなくのことであった。

                  (8)

あれからどれほどの時が流れたであろう。ギンは護廷十三隊五番隊の副隊長となっていた。
もはや無邪気な笑いなど思いだすことすら出来ない。
目的のために闇に堕ちてゆく自分を止めるものはなかった。



(無駄に広いちゅうのはこういう邸のことを言うんやね。)

今日の隊首会は六番隊副隊長にして四大貴族である朽木家現当主,朽木白哉の私邸で行われることになっていた。
ギンは隊首会が始まるまでの間,ぶらぶらと邸の中をうろついていた。
貴族の邸にとりたてて興味があるわけではなかった。それは探検気分での散策に過ぎなかった。
しかし,豪奢な中庭に面した広い部屋の前の渡り廊下でギンの足はぴたりと止まった。

そこにあったのは立派な祭壇,朽木家歴代当主達とその奥方の遺影が並んでいる。
ギンの目はその中の遺影の一つにくぎ付けとなった。

(あの子や・・・・)

あの日以来,忘れられなかった面影,ルキアを捨てた少女がそこにいた。
悲しげな大きな瞳,繊細な顔立ち,まさしくあの日,言葉さえ交わすことのなかった少女の成長した姿がそこにあった。
遠い記憶の果てからよみがえる思い出・・・この腕の中に確かな幸せを与えてくれた少女。
病弱の身でありながら朽木白哉の奥方はよく流魂街に足を運んでいたと,噂に聞いたことがある。
この少女はずっとルキアを探し続けていたのだろうか。

「そこで何をしている?」

背後で固い冷たい声が響いた。能面のような冷たい表情をした朽木白哉が背後に立っていた。

「別にぃ。ちょいとした散策ですわ。そないな怖い顔せんといてください。」

「この部屋は,兄のようなものが入る場所ではない。」

白哉の冷たい言葉には構わず,ギンは祭壇の前に座った。
はなからすぐに追い出される気は微塵もなかった。

「えらい別嬪さんですなあ,朽木はんの奥方さんは。お名前なんて言いはりました?」

「・・・・・緋真。」

「名前も綺麗や。お線香あげさせてもらいますわ。」

白哉の返事も待たずギンは線香に火をつけ,手を合わせた。高雅な梅香の香りが漂う。

(ごめんなぁ・・・君とボクの宝物,ボクもなくしてしもたんや。でも,必ず見つけ出すから。堪忍なぁ・・・緋真ちゃん・・・)

そう,ギンもルキアを探し続けていた。
人買いに攫われたことを危惧したギンは花街を中心に探していた。
そのため女好きの色事師のように言われていた。実際は遊女を買うことなどほとんどなかったのだが・・・。

そんな女好き(と噂される)の市丸ギンに自分の妻の写真を見られるのが不快でならないらしい白哉の神経をこれ以上逆なでしないように,ギンは線香が燃え尽きる前に立ちあがった。

「そろそろ,隊首会始まりますなあ。行きましょか。」

ギンはさっさと歩きだした。白哉もそれに続く。長い廊下を二人は無言のまま,しばし歩き続けた。

「市丸ギン,兄は,流魂街出身だと聞くが・・・」

「そうですわ。南流魂街戌吊出身ですぅ。」

「兄は,緋真と以前,会ったことがあるのか?」

祭壇の前で祈るギンの姿に何かを感じ取ったのだろうか,白哉の声は鋭かった。
静かな怒りすら含まれている。亡き妻を心から愛していた,そしてこれからも愛し続けていくだろう男の抑えきれぬ感情の波を受けてギンの張り付いたような嗤いが一瞬消えた。

「・・・あないな別嬪さん,一度会ったら忘れられへん・・・会うたことないですよ。」

「・・・・・」

ギンの言葉を信じたわけではなさそうだったが,白哉はそれ以上ギンに妻のことを問うことはなかった。

(緋真ちゃん,愛されとったんやね。幸せだったんやね・・・よかったわ。)

ギンは遠い昔に感じた微かな胸の痛みを懐かしく思いながら,柄にもなく温かな思いで白哉と共に隊首会の会場に向かった。


朽木家に一人の少女が養子に迎えられたと聞いたのはそれから間もなくのことであった。

                  (9)

護廷十三番隊隊舎の長い渡り廊下を,六番隊隊長となった朽木白哉が歩いてくる。
後ろに小さな少女を連れて。
市丸ギンは待ち構えていたことをそぶりにも出さず,飄々と二人に近づいていく。

「ごきげんさん。六番隊隊長殿。」

「何用だ。三番隊隊長。」

そう,時期を同じくしてギンも三番隊隊長となっていた。

「今日の隊首会の議題,なんやったろな思いましてねぇ。」

「兄の副隊長に聞いた方が速かろう。」

「朽木はんの出した議題ですやろ。」

ギンにとって隊首会の内容など実にどうでもよいことであった。
彼の目当ては白哉の後ろに立つ少女,探し続け焦がれ続けた愛しい死神。

白哉の後ろから歩いてきた彼女を初めて見た時心臓が止まりそうになった。
緋真に生き写しであった。烏の濡れ羽色の黒髪,透き通るような白磁の肌,美しい濃藍の瞳は見忘れようもなかった。

美味しそうに干し柿を食べるルキア
甘えて自分に抱っこをせがんだルキア
あやとりの糸を興味津津で見つめていたルキア
狐のぬいぐるみを抱いて嬉しそうに笑ったルキア

胸に,張り裂けそうなほどの懐かしさと,切なさと,愛しさがこみあげて・・・思わずギンは一瞬,白哉がいることも忘れルキアに一歩近づいた。

(・・・・・!?・・・)

ギンは愕然とした思いでルキアを見つめた。
ルキアの瞳に信じられないようなものを見たからだった。
その藍紫の瞳に映るは紛れもない恐怖,嫌悪,明確な拒絶・・・かつて自分を見つめるルキアの瞳に決して浮かぶことのなかった感情がそこにあった。

ルキアと引き離され闇に堕ちた自分,血に染まった手,張り付いた嗤い,ルキアの慕っていたギン,優しい優しい白い狐はもういない。
いまや,自分は目的のために蛇となり,気に入ったものを舌で探り当て丸のみに喰らう忌まわしき闇の住人。
ギンは無垢なままのルキアと己との間にできた深い隔たりを知り愕然とした。

人を喰らったこの口で君を愛すと言えるはずもない・・・

ルキアが全身全霊で自分のことを拒絶していることがわかっていても,ギンはルキアに近づかずにはいられなかった。
赤ん坊のころの記憶を覚えているとは思わない,でも欠片でもいい,かつて自分との間に確かにあった優しい触れ合いを,愛しい時間を取り戻したかった。
頑ななルキアの拒絶にいら立ち,意地悪や嫌味な態度ばかりとってしまったとしても――。


今日もルキアの態度は変わらない。それでも怯えたような瞳で自分の視線を外さないルキアが愛しくてならなかった。
白哉と共に振り向きもせずに去っていくルキアの後姿をやり切れぬ思いで何度見送ったことだろう。

だからギンは賭けにでた。幼いころに食べさせた干し柿が彼女の記憶を呼び覚ましてくれることに・・・
ギンは名残惜し気に唇を離すと切なる願いのままに囁く。

「どうや?ルキアちゃん―――!?」

バチ―――ン!!!

思いだしてくれた?と言葉を続ける前にギンは横っ面を張り飛ばされた。
じんじん痛む頬とくらくらする頭を押さえながらルキアを見ると,ルキアは顔を朱に染め涙を浮かべながら,ギンの鼻先に指を突き付け言い募る。

「き,貴様・・・い,いきなり口づけするなど・・・何を考えておる!!この変態!助平!色情魔!!しかも感想を聞くなど・・・でりかしーがないにもほどがある!!!」

どうやら変な所で言葉が切れたせいかルキアは誤解しているようだった。

(断りもなくボクの初ちゅー奪ったんは君の方やん・・・)

小さく口の中でつぶやかれた言葉はルキアの耳には届かなかった。

「二度と顔も見たくない!もう私に近づくな!」

荒々しく三番隊執務室の扉を開けて,ルキアは飛び出して行った。

「あかんかったか・・・」

ルキアが出て行ってしまうと執務室はやけに寒々と感じられた。
ギンはルキアに食べさせた干し柿の残りをかじった。甘い干し柿がひどく苦く感じられた。
その味は失われた幸福への狂おしい程の憧憬・・・。

ギンは机の引き出しから小さなぬいぐるみを取り出した。
ところどころほつれ,ひどく古ぼけた・・・笑顔のうさぎによく似た狐のぬいぐるみ。ギンの口許に苦い笑いが浮かんだ。
ルキアが狐好きではなくうさぎ好きになった原因はコレのせいなのかもしれない…
その頬を一筋の涙が伝っていた。

ルキアは三番隊執務室を飛び出した後,まだ扉のそばにいた。ごしごしと唇をぬぐい,怒りと屈辱で心は震えていた。

(なんてことを,なんてことを・・・・――――!?)

口の中に残る干し柿の味――。
ルキアは生まれて初めて,違和感を感じていないことに気がついた。
そんな馬鹿なと否定する思いと,それが真実であると確信する舌の記憶――。
甘い甘い干し柿の味,遠い遠い昔に幸せと安心に包まれて食べていた味。
優しい笑顔の誰かに食べさせてもらった・・・あれは誰・・・?

怒涛のように押し寄せてくる懐かしさと愛おしさに押しつぶされそうになり,思わずルキアは胸を押さえた。熱い涙が頬を伝い,心が引き裂かれそうな程の切なさに思わず嗚咽がこぼれそうになる。

帰りたい,帰りたい・・・あの優しい笑顔の腕の中へ,確かな幸せの中に抱かれていたあの時の中へ――。

ルキアは涙にぬれた瞳で,三番隊執務室の扉を振りかえった。
この部屋の主は教えてくれるのだろうか,この胸を満たす狂おしい程の憧憬の理由を――。

ルキアが扉に手をかけようとしたその時,固い冷たい声が背後で響いた。

「ルキア,何をしている?」

「兄様!?」

ルキアの義兄朽木白哉がそこに立っていた。

「浮竹が探していた。早く十三番隊隊舎に戻れ。」

「はい・・・」

ルキアは白哉に従い歩き出した。何度も扉を振り返りながら。しかし,ルキアがギンに干し柿のことを問うことはついになかった。


ルキアに転属命令が出され現世駐在任務に向かったのはそれから間もなくのことであった。

                〈END〉

あとがき
タイトル『SAUDADE(サウダーデ)』,とある漫画から知った言葉で,ポルトガル語で「失われた幸福を取り戻したいという切実な願望」という意味だそうです。ギンの出身が戌吊かどうかは分からないのですがそうであってほしいなあ…(泣)
緋真に心寄せてルキアを愛したギンにささげる歌はキンキキッズの『僕の背中には羽がある』です。
ギンルキどんな形でもいい,報われてほしいなあ。でも,大丈夫!!私がキミとルキアを幸せにしてあげるから…(T_T)
行き場ない愛が止まらない~♪




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